介護する家族にもグリーフがある|介護の中で抱える“見えない喪失”とは

「介護をしている家族も大変だ」

この言葉は、多くの場面で聞かれます。

確かに、介護には身体的な負担があります。毎日の食事や排せつ、通院の付き添い、服薬の管理、手続き、仕事との両立など、家族が担う役割は少なくありません。

しかし、介護する家族の負担は、時間や身体の疲れだけではありません。

その心の奥には、周囲からは見えにくい、さまざまな「喪失」があります。

以前のように元気だった親。

何でも自分でできていた夫や妻。

普通に会話をし、一緒に出かけていた家族。

介護が始まることで、それまで当たり前だった関係や生活が少しずつ変化していきます。

そして家族は、その変化を目の前で見続けることになります。

まだ生きている。

だから「失った」と言うことには抵抗があるかもしれません。

しかし心の中では、確かに以前の生活や関係を失っている。

このような気持ちに目を向けることが、介護とグリーフを考えるうえでとても大切だと、私たちは考えています。


介護の中で起こる「見えない喪失」

グリーフとは、一般的に大切な人を亡くしたときの悲しみとして知られています。

しかし、グリーフは死別だけで起こるものではありません。

グリーフとは、本来、さまざまな喪失に対する自然な反応です。

介護が始まると、家族は多くのものを少しずつ失っていくことがあります。

例えば、

「以前のように一緒に旅行へ行けなくなった」

「親と普通に会話ができなくなった」

「夫婦で出かける時間がなくなった」

「自分自身の自由な時間が減った」

「家族との関係が変わってしまった」

こうした一つひとつは、小さな変化に見えるかもしれません。

しかし、それが長い時間をかけて積み重なっていくと、大きな心の負担になることがあります。

介護する家族は、本人の変化を受け止めながら、同時に自分自身の生活の変化も受け止めなければなりません。

そこには、「介護疲れ」という言葉だけでは表現しきない感情があります。


「まだ生きているのに悲しい」という気持ち

介護する家族の中には、自分の気持ちに戸惑う方もいます。

「まだ生きているのに、失ったような気持ちになる」

「以前の父に会いたい」

「昔の母に戻ってほしい」

「こんなことを思ってはいけないのではないか」

そんな思いを抱えながら、自分自身を責めてしまうことがあります。

しかし、その感情は決しておかしいものではありません。

人は、病気や認知症、身体機能の低下などによって、大切な人との関係が変わっていくとき、さまざまな喪失を経験します。

目の前にいる人は、確かに大切な家族です。

けれど以前と同じ関係ではない。

以前のような会話ができない。

以前のように一緒に過ごせない。

この「いるのに、以前とは違う」という状況は、家族にとって非常に複雑なものです。

悲しい。

寂しい。

戸惑う。

時には怒りを感じる。

そして、そのような感情を抱く自分に罪悪感を持つ。

介護の中には、こうした複雑な感情が同時に存在しています。


認知症によって変わる親子関係

特に認知症は、家族に大きなグリーフをもたらすことがあります。

これまでしっかりしていた親が、少しずつ物忘れをするようになる。

会話がかみ合わなくなる。

自分のことを忘れてしまう。

性格が以前とは違うように感じる。

その変化を目の前で見ることは、家族にとって簡単なことではありません。

「頭では病気だと分かっている」

「本人を責めても仕方がない」

そう理解していても、感情は簡単には整理できません。

優しくしたいと思っているのに、つい強い言葉を言ってしまう。

何度も同じことを聞かれて、イライラしてしまう。

その後で、「もっと優しくすればよかった」と後悔する。

介護をしている家族には、このような経験があるかもしれません。

しかし、それは家族の愛情が足りないからではありません。

一人の人間として、疲れたり、悲しくなったり、限界を感じたりすることがあるからです。

グリーフという視点を持つことで、私たちは介護する家族の感情にも目を向けることができます。


介護者は「支える側」だからこそ助けを求めにくい

介護をしている人は、多くの場合、「支える側」です。

だからこそ、自分の苦しみを後回しにしてしまうことがあります。

「本人の方が大変なのだから」

「自分が弱音を吐いてはいけない」

「家族なのだから、やるのが当たり前」

「自分が頑張らなければならない」

こうした思いが、介護者自身を追い詰めることがあります。

しかし、介護する人も一人の人間です。

疲れることもあります。

悲しくなることもあります。

「もう限界だ」と思うこともあります。

介護者自身にも支えが必要です。

これは、決して介護を放棄するということではありません。

むしろ、長く介護を続けていくためにも、支える人自身が孤立しないことが大切です。

介護する人が倒れてしまえば、本人も困ることになります。

だからこそ、「支える人を支える」という視点が必要なのです。


「介護疲れ」という言葉だけでは足りないもの

介護の大変さを表現するとき、「介護疲れ」という言葉が使われます。

もちろん、身体的な疲労や精神的な負担は大きな問題です。

しかし、介護する家族が抱えているものを「疲れ」だけで表現してしまうと、見えなくなってしまうものがあります。

そこには、

「以前の生活を失った悲しみ」

「家族との関係が変わった戸惑い」

「自分の時間を失った寂しさ」

「将来への不安」

「もっと何かできるのではないかという後悔」

などがあります。

そして時には、

「早く終わってほしい」

と思ってしまうこともあるかもしれません。

その気持ちを誰にも言えず、自分を責めてしまう人もいます。

しかし、長期間にわたって介護を続ける中で、さまざまな感情が生まれることは不自然なことではありません。

大切なのは、その感情を「良い」「悪い」で判断することではなく、

「なぜ自分は今、このような気持ちになっているのだろう」

と自分自身の心にも目を向けることです。


家族にも「悲しむ時間」が必要です

介護が始まると、家族は忙しくなります。

病院への付き添い。

ケアマネジャーとの相談。

介護サービスの調整。

仕事。

家事。

そして本人の介護。

毎日やるべきことに追われ、自分の感情を振り返る時間がなくなっていきます。

「悲しい」と感じる時間さえない。

しかし、感情を感じなくなったわけではありません。

ただ、後回しになっているだけです。

そして、あるとき突然、感情があふれ出すことがあります。

ちょっとした言葉で涙が出る。

突然、何もしたくなくなる。

誰にも会いたくなくなる。

怒りが抑えられなくなる。

それは、弱いからではありません。

これまで積み重なってきた感情が、表に出てきたのかもしれません。

介護する家族にも、自分自身の気持ちに向き合う時間が必要です。


話せる場所があることの意味

グリーフを抱えたとき、必ずしも誰かが「解決」してくれる必要はありません。

むしろ、

「そんなふうに感じているんですね」

「大変でしたね」

と話を聴いてもらうだけで、気持ちが少し軽くなることがあります。

介護をしている家族にとっても同じです。

家族には言えないことがある。

本人にはもちろん言えないことがある。

友人に話しても理解してもらえないように感じる。

そんなときに、安心して話せる場所があることには大きな意味があります。

大切なのは、「正しい答え」をもらうことではありません。

自分の気持ちを否定されずに話せること。

「自分だけではない」と感じられること。

そして、一人で抱え込まなくてもいいと思えることです。


同じ経験をした人とのつながり

リーフケアにおいて、同じような経験をした人とのつながりが支えになることがあります。

介護を経験した人だからこそ分かること。

親を見送った経験があるからこそ共感できること。

認知症の家族を支えた経験があるからこそ理解できる気持ち。

もちろん、すべての経験が同じではありません。

一人ひとりの状況は違います。

しかし、

「自分だけではなかった」

と思えることが、孤立感を和らげることがあります。

人は、悩みが完全に解決しなくても、「理解してくれる人がいる」と感じることで、前を向けることがあります。


地域で介護者を孤立させない

介護の問題を家族だけで抱える時代ではなくなっています。

介護保険サービスをはじめ、地域包括支援センター、医療機関、介護事業所、社会福祉協議会、地域のさまざまな活動など、多くの支援があります。

しかし、制度があっても、介護者の「心の孤立」がなくなるとは限りません。

サービスを利用していても、

「自分の気持ちは誰にも話せない」

と感じている人もいます。

だからこそ、制度による支援だけではなく、人とのつながりも重要になります。

「最近、どうですか?」

と声をかけてくれる人がいる。

少し話を聴いてくれる人がいる。

困ったときに相談できる場所がある。

地域の中に、こうしたゆるやかなつながりがあることは、介護者の孤立を防ぐ力になります。


パパンが考える「介護者へのグリーフケア」

一般社団法人パパンは、グリーフを「大切な人を亡くした後だけの問題」とは考えていません。

人は生きている中でも、さまざまな喪失を経験します。

そして介護する家族もまた、多くの「見えない喪失」を経験しています。

だからこそ、私たちは本人だけではなく、その家族にも目を向ける必要があると考えています。

「介護している人は大丈夫だろうか」

「一人で抱え込んでいないだろうか」

「話せる場所はあるだろうか」

そんな視点を持つこと。

それが、地域で人を支える第一歩になるのではないでしょうか。

パパンは、グリーフケアを通じて、人と人が安心してつながれる地域を目指しています。

すべての問題を解決することはできません。

しかし、

「一人で抱えなくていい」

と思える場所をつくることはできます。

そして必要に応じて、地域の専門的な支援へつなぐこともできます。


「介護が終わった後」にもグリーフは続く

介護は、本人が亡くなったことで終わるわけではありません。

介護をしていた家族にとっては、その後に新しいグリーフが始まることもあります。

「あのとき、もっと何かできたのではないか」

「もっと優しくできればよかった」

「もっと早くサービスを利用すればよかった」

「自分の判断は正しかったのだろうか」

介護を終えた後、多くの思いが心の中に残ることがあります。

一方で、

「介護が終わって少し楽になった」

と感じる人もいるでしょう。

しかし、その「楽になった」という気持ちに罪悪感を抱くこともあります。

悲しい。

寂しい。

安心した。

疲れた。

解放されたように感じた。

こうした一見矛盾する感情が同時に存在することがあります。

それもまた、人として自然な反応です。

だからこそ、グリーフケアは死別直後だけではなく、その後の人生にも寄り添う視点が必要なのです。


最後に|介護する家族の心にも目を向ける

介護というと、どうしても「介護を受ける本人」に目が向きます。

もちろん、それは大切なことです。

しかし、その隣には、本人を支えている家族がいます。

毎日頑張っている人がいます。

不安を抱えている人がいます。

疲れている人がいます。

そして、誰にも言えない悲しみを抱えている人がいます。

介護する家族にもグリーフがあります。

以前の生活を失った悲しみ。

変化していく家族を見守る寂しさ。

自分自身の生活が変わる戸惑い。

そして、いつか訪れる別れへの不安。

こうした「見えない喪失」に目を向けることが、介護する家族を支える第一歩になるのではないでしょうか。

「頑張ってください」

だけではなく、

「あなた自身は大丈夫ですか?」

と声をかける。

それだけでも、その人にとって大きな支えになるかもしれません。

私たち一般社団法人パパンは、これからもグリーフケアを通じて、亡くなった後だけではなく、生きている今のさまざまな喪失にも目を向けていきます。

本人を支えること。

家族を支えること。

そして、支える人自身も孤立させないこと。

人は誰かを支え、そして人生のどこかで誰かに支えられながら生きています。

だからこそ、地域の中に「一人で抱え込まなくていい」と思えるつながりを増やしていくこと。

それが、これからのグリーフケアに必要なことだと、私たちは考えています。

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